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輪るピングドラム 第1話 感想

山本常朝(『葉隠』の口述者)は武士の心得についてこう書いている。「毎日、怠ることなく、死んでおくべきである。古老の言葉に『軒下から一歩出れば、汝は死者であり、門を出れば敵が待っている』というのがあるが、これは用心せよということではなく、前もって死んでおけということである」。だからこそ、ヒリス・ローリーによれば、第二次大戦中、多くの日本軍兵士は戦地に赴く前に自分の葬式を挙げた。生者の領域からあらかじめ自分を排除してしまうこの姿勢を、日本の病的な軍国主義を示す一例として片づけてしまうことは容易だが、むしろわれわれはその中に自由の別名、あるいはかつてセネカが言ったように、「死者に交わることなく、だが生者からも離れて、さまよう道を探す」姿勢を見出すべきであろう。
 逆説なことに、「真に生きる」ためには、自分自身の死を通り抜けなければならない。「死の前に生はあるか」―――これはヴォルフ・ビーアマンがその歌のひとつで投げかけた問いだ。これは「死後の生はあるか」というありふれた観念論的な問いを唯物論的に裏返しにしたものだ。唯物論者を悩ます問いはこうだ―――私はいまここでちゃんと生きているのだろうか、それとも生存しか頭にないただの動物として生育しているだけなのか?
(スラヴォイ・ジジェク『ラカンはこう読め』より)



昌馬と冠葉、それぞれ「運命って言葉が嫌い」だと語る。

僕は、運命って言葉が嫌いだ。生まれ、別れ、出会い、成功と失敗、人生の幸不幸。それらがあらかじめ運命によって決まっているのなら、僕たちは何のために生まれてくるんだろう。裕福な家庭に生まれる人、美しい母親から生まれる人、飢餓や戦争の真っ只中に生まれる人。それらが全て運命だとすれば、神様ってやつはとんでもなく理不尽で残酷だ。あのときから僕たちには未来なんかなく、ただきっと、何者にもなれないってことだけははっきりしてたんだから。

全てがはじめから決められているという意味での運命があるとしたら、覆せない・変えられないそれがあるとしたら、人は何のために生まれて何で生きるんだろう、はじめから全て決められてるのに、だから嫌いだ、と。

人は、何のために生まれるのか。あくせく毎日を過ごすためだけに、人が創られたのだとしたら。それは何かの罰なのか、それとも、皮肉なジョークなのか。そんなんじゃ、遺伝子にプログラムされた生存戦略に忠実な動物の方がよっぽどシンプルで美しい。
もしこの世界に、神様と呼べるものがいるならば、そいつに一つだけ聞きたい。人の世界に、運命は本当にあるのか? もし、人が運命を無視して、本能も遺伝子の命令も無視して、誰かを愛したとしたら。神様、そいつは、本当に人なのか? 「なんてな」 ―――俺は、運命って言葉が嫌いだ。


人には、運命といった、つまりはじめから何かが決められてるという、そんな鎖や縛りや決まりがあるとしよう。さらには、人の種と云う決まりもある。生きてくために、あくせく働き毎日を過ごしていく。それは、生物全てにはじめからインプットされている、己を少しでも長く生きながらさせる本能的な生存戦略と似て非なるもの。生きるために必要なことだけど、生存戦略と違って、「生きる為に必要なこと」だけでは割り切れない。社会とか地位とか人生とか人間関係とか、そういうのが割り込んできて、そういうのも維持していかなければならない。ただ食べ、ただ過ごし、ただ生きることのみに熱心で、純粋で、それに特化している遺伝子からの命令=生存戦略の方がよっぽどシンプルで美しい。
つまり人には最低でも二つの縛りがあるということです。いわゆる「運命」と呼ばれる、定められたもの。目に見えないし実在は証明されていないけど、それは「ある」といえば、決して否定することは叶わない。否定の証明は不可能なのだ。
そしてもう一つは、人が生きるということ。人は、単に生きるため、単に生存のためだけに生きていないから、あくせく毎日を過ごさなければならない(ただ食って寝るだけ(=生存)だったら、もうちょっと楽だろう)。そういう縛りがある。そして、それを打破しても、それでも生物は生きている以上生命活動を維持しようとする、本能や遺伝子の命令という縛りがある。
それらを無視した存在は、果たして「ひと」なのだろうか?


みたいな感じでしょうか。
「ただ生きるだけ」「ただ運命に従っているだけ」「ただ生存本能に従っているだけ」「ただ生存するだけ」。そんな在り方が人である。それは正しい。人として。しかし、そんな在り方は嫌だと嫌う。それも正しい。もはや人ではないかもしれないけれど。
いや勿論、『もし、人が運命を無視して、本能も遺伝子の命令も無視して、誰かを愛したとしたら。』、この辺は「近親相姦の禁」にかかってるのかもしれません(ただ「近親相姦の禁」というのは、社会的に結成された決まりであって、遺伝子的な抑制ではありませんが)。

とまれ。
彼らは運命を嫌う。運命っていう言葉を嫌う。
それがこの先、どうなっていくのかですね。
陽毬に乗り移った(?)ペンギンの女王みたいな人は、自身のことを「お前たちの運命のいたる場所から来た」と語っていました。この言葉をどう取ればいいのかも難しいですが、字面どおりに読むならば、彼らの運命の終着から来た、ある意味未来から来た、みたいな意味なのでしょうか。そんな存在が、彼らがなんとしてでも生かしてくれと願った陽毬を生かし、その代償を奪い取り、そしてピングドラムを探すように命じる。この奪われた代償というのが何かも分かりませんし、ピングドラムも分かりません。また、「きっと何者にもなれないお前たち」という彼女の言葉も、なんとも掴みづらい。何者にもなれないというのは、「絶対」でも「必ず」でもなく「きっと」なのです。もしかしたら、彼らも何者かになれるかもしれない。『何者にもなれないということだけははっきりしている』と自覚している彼らでも。

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そして「生存戦略、しましょうか」というように、彼女にとってそれはきっと生存戦略。てゆうか生存戦略って言いすぎ。これは裏返すと「生存戦略のために(それが一番で)ここに存在している」んじゃないか、という可能性が高まったと言えます。これだけ生存戦略と云う、ということは、生存戦略が大事か、必要かのどちらかである。
ただ、彼女の言う生存戦略が、冠葉のモノローグで語られた生存戦略と同一か否かは定かではありませんが。


とかくまあ、よくわかんないけど、すごいエネルギーがあったことは確かですよね。

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特に変身シーン(?)などは驚異的なほどであった。
とにかくの「圧倒的な勢い」。圧倒的なケレン味とかハッタリ。意味はよく分からないけど、圧倒的であるということは分かるし、そしてそれが分かれば十全。
あとこのシーン、いきなり歌を入れてるのが完璧だと思うんですよ。ポーカーで言えば全とっかえのような、文脈も流れも全部凌駕する(歌と云う)声の究極の現前性による超攻撃性。それが充分に機能している。歌の攻撃力、それは、それ故に難しいんですけど、たとえばミュージカルが証明済みのように、「いきなり歌が入る」ということには圧倒的な衝撃力、説得力がある。実写映画における「幽霊の声」みたいな声の解離性は、アニメにおいては声優の演技には決して存在しづらいと思うのです。アニメーションの絵が持つ弾力性は、声という現前性もほどよく吸収してしまうから(声優の声・演技自体が元々非現前的であるということも言えるけど)。しかし作中に挿入される「歌」(それもキャラが歌ってる設定の歌ではなく、どこからともなく流れてくる挿入歌)には、そういった乖離的な現前性が存在しているんじゃないだろうか。そしてだからこそ、圧倒的な攻撃力を持っている。


あとこの映像の素晴らしいところは、ただ派手なだけではないというところです。

たとえば「色彩感覚」なんかよく言及されてますが、ピンドラの、少なくとも高倉家の中での、派手な・原色な色彩、それを用いた美術は、ただ目を引かせるだけのものではなく、同時に、陽毬のセカイであることも表現している。

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家の中は、いや外もだけど、なんでこんなに派手な原色使いなのか。置いてある小物類も綺麗な色彩のものばっかで、また可愛らしい感じのものばっかりである。
どうしてそんなものばかりなのか・そんなデザインなのかというのを考えると、これは実は陽毬の好みなんじゃないだろうか。陽毬が、っていうか女の子が好きそうなデザインのものばかりが置かれているし、そしてもし陽毬が欲すれば、兄弟二人が喜んで買い与えるのは目に見えている。

つまり、もしそうであるならば、この家の中が、高倉家の内向きの領域が、陽毬のセカイだということが分かる。この色彩とこのデザインは、視聴者の目を強烈に惹きつけるこのインパクトは、単に派手なだけの設計ではなく、同時に、陽毬本人から流出した陽毬を見ているのと同意でもある。
そう、ただ視聴者の目を惹きたいから派手にしただけです、というわけではなく、陽毬が中心となっているから派手な色彩になって然るべきであり、それが結果として視聴者の目を惹いたとしても、それもまた然るべきなのである。つまり、視聴者の目を惹いたのは、ただ派手な色の小物やデザインというわけではなく、陽毬自身、その内面の流出/陽毬の内面が流出したような高倉家のセカイなのだ。

こういった気の使い方もまたもの凄く素晴らしいと思いました。


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