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ダンタリアンの書架 第1話 感想

ダリアンが超絶に可愛いのです。お わ り 。
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いやなんか突き詰めるとこのアニメはそれしかないし、それが全てだし、それだけあれば十分だっていう気がします。気がするのです。つまりダリアン可愛いから他のことは全部どうでもよくなっちゃうかな~といったぐらいにダリアンかわいい。


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ダンタリアンの書架を引き継ぐことと、「ダリアンを頼む」つまりダリアンを頼まれること。それがじいさんの遺産(屋敷に関する一切合財)の権利を手に入れる条件。ヒューイはそれを満たしに……満たすためにここに来たわけです。
それは翻せば、「そういうことの為」であるとも捉えられる。
つまり、遺産の為、財産の為。ダンタリアンの書架を引き継ぐのも、ダリアンの面倒見て彼女に付き合うのも、そういうことの為なんじゃないのか? ―――そう邪推できるだけの前提条件が、既に用意されているのです。が、実際はそうは見えないんですよね。金の為・財産の為・遺産の為、理由があり都合があり打算を邪推できるような前提にも関わらず、そのようなものは透けて見えない、探っても見えない、少しも見当たらない。
その辺の感覚が特に素晴らしかったかなぁと。


ある意味ではそのまんま「壺中天」でもあるわけです。
壷の中には、この世界とは異なる別天地がある。ダンタリアンの書架はそのようなものと語られていますが、

この身ならざるもう一つの世界をその身に宿した壷のように、無尽蔵に知識を蓄えられる図書館があったとしたら


しかし、今回登場したグリモワールだって、この世界ならざる別天地の姿を垣間見せていましたし(こちらの世界に別世界を顕現していた)、精神的な意味なら、一人の人間の世界はまさに「壺中天」であるわけで。他の人とは違う、世界そのものとも違う、一人の個人。その中の世界は当然、他人とも世界とも別物の、言うなれば「壺中天」であり、だからこそ、他人に接するということは、一つの「壺中天」に接することに他ならない。

ヒューイがダリアンに接すること、ダリアンがヒューイに接することだって、当然そのような意味を持つ。つまり、お互いに対する認識といったもの。影響といったもの。そういうものの変化。
たとえばダリアンのヒューイに対する認識は変化していくわけで、その際たるものはあれですね、

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「認めてやると言っているのです」
「お前に鍵守たる資格があるのならば、契約の言葉を読み解きなさい」


ダリアンがヒューイを(鍵守として)認める。そういう風に認識を改める。


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全てが終わった後の、ダリアンに手を差し伸べるヒューイと、その手を掴むダリアン、というのもまた、ダリアンの認識の変化ですね。
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コンラッドの屋敷について馬車から降りるときも、「お手をどうぞ」的にヒューイは手を差し出すのですが、「誰がお前の手など掴むかー」的にダリアンは無視するのです。この時はダリアンはヒューイを認めてないから。鍵守として。あるいは、パートナー的存在として? いずれにせよ、ダリアンはヒューイを認めていなかった。しかし、後に、ダリアンはヒューイを認めることになった。次回予告で「認めてやった私の考えが浅はかでした」というように、つまりその言葉の裏を返せば「認めた(認めてた)」わけです。このように。
しかし同時に、次回予告でそう言ってるように、機嫌悪くして「(やっぱり)認めなく」なるわけで、そういう風にお互いの影響と変化は続いていくわけです。……いやなんか、お前ら認めたり認めなかったり機嫌悪くしたり良くしたりと、つまりそうやってずっとイチャイチャしてればいいよとか思ってしまうのですが。その方がダリアン可愛いですし。




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ベタといえばベタですけど、空の変化と状況の変化。
上から順に、じいさんの屋敷についた頃(青空)。
ダリアンと出くわした頃(曇ってきた・雲の流れが速くなった)。
コンラッドの屋敷についた頃(さらに曇天)。
モンスターとか出てきて戦った頃(雷鳴まで鳴ってる)。
全部終わって屋敷出た後(地平線の彼方にうっすら日の出)。
―――それぞれが、その時の(物語の)状況や状態を十全に表している。平穏には平穏な空、危険には危険な空、新たなはじまりには新たなはじまりの空。ある種ベタな演出ですが、しかし作品というものが、この世界とは異なる別天地を見せるという一つの壺中天的な機能である以上、そしてそのことにこの作品がある種意識的である以上、この作品に関してこの演出は、ものすごく合っている表現なんじゃないかなぁとか思いました。

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ダンタリアンの書架「第1話 仕掛け絵本」/ブログのエントリ
ダンタリアンの書架「第1話 仕掛け絵本」に関するブログのエントリページです。
2011.07.29/12:56

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